0253351
BBS - Japan Ray Bradbury Fan Club
[トップにもどる] [掲示板の使い方] [ワード検索] [過去ログ] [記事削除] [管理用]
おなまえ
Eメール
題  名  
コメント
URL
イメージ (あなたのイメージを選択して下さい) [画像イメージ参照]
削除キー (自分の記事を削除時に使用。英数字で8文字以内)
文字色

[449] もっとどうでもいい話だということは百も承知(爆 投稿者:理系の男 投稿日:2008/03/20(Thu) 19:26:09
以下の原稿は、相当前に完成していたもので、444の投稿はこれを出したいがためのものであることはバレバレ(笑

October Country の誤植、および問題部分について

これまでの作業で、米文学史上最高の短編集(本気!)「The October Country」にもいくつか問題があることがわかってきました。内容的には3種類に分けられます。一つは、小説の構成自体に問題があるもの。これは、The crowd, The Small Assassin, There was an old womanなどで見られます。鑑賞にはあまり影響ないものから、後2者のように、白けて、削除したくなるものまであります。第2は、単純な論理的ミスや事実誤認です。ほしづるさまに教えていただいた、「太陽の黄金の林檎」の「零下千度」のようなものですね。The next in Lineの「デシベル」、The scytheの「エーカー」、The windの「ジンの遊び方」、などがこれにあたりますが、あまり鑑賞の妨げにはなりません。まあ、以上2つは作品自体の特徴であって、とやかく言うべきではないのでしょう。問題は第3の、単純な誤植です。容易に想像のつくスペルミスから、ちょっと苦しい行の入れ替わり、最悪な原稿用紙入れ替わりまで、いくつもあります。Ballantinde HC初版を基準に、この誤植の例をまとめてみました。

(A)Touched with fire
Grandular deficiencies.→Glandular deficiencies (訳文213ページ)
RとLを取り違えるとは信じられないミス。英版のPBでは初版から直っているので、なぜ米版PBで直っていないのかわからない。フランス語訳初版(1960年、この時点ではLに直った版は出ていない)ですら、glandularと解釈されている。宇野訳は、例によって名人芸でスルー。スウェーデン版ではFel pa kortlarnaとなっていて、わからず(爆)

(B)Jack-in-the-Box
Sometimes he and Mother picnicked in the Highlands, spread cool snow linens on red- tuffed, Persian lawns(訳文286ページ)   tuffed→tufted
tとfは非常に似ていて(OCRソフトもよく間違える)調査には苦労しましたが、tuftedに直っている版はほとんどありません。

(C)Jack-in-the-Box
World was abuilding under God's hand,(訳文296ページ)
abuildingのaとbの間にスペースが抜けているわけで、活字の組み方によっては非常に微妙ですが、これも直っている版はほとんどない。

(D)Homecoming
訳本では460ページの「・・・と、とうさんが叫んだ。」の次に、461ページ12行目、「彼の周囲で行われているが」から462ページ13行目「いまもやっているかい、シシー?」までの部分に対応する文(タイプ原稿1枚分)がそっくり後ろに移動しています。文の途中から移動しているので、文頭が小文字で始まっている部分があり、すぐに誤植とわかります。この箇所、朗読版で聞くとすごく変なのですが、朗読者は何のためらいもなく読み進んでいます。さすがプロですな(?)。笑えることに、英版PBでは1961年の初版から、小文字で始まっている文章の直前のピリオドを削除し、文法的な辻褄を合わせたことにより、以後の英版はすべて誤りのまま放置されてしまいました。Gauntletの1999年の愛蔵版では、逆に文頭を無理やり大文字にして、辻褄を合わせています。つまり、変だということには気づいていたわけで、何してるんだ、って感じです。米版PBは1956年初版から直っているので、どうしたことでしょう。次の項にあるように、この作品は書き直されているのですが、そのバージョンでさえもこの部分は放置しているので、RBのこの作品にかける愛情を疑ってしまいます。

(E)Homecoming
これは単純な誤植ではなく、改稿というべきなのでしょうが、とんでもない改悪、RBに魔が差したとしか思えませんので、誤植扱いとしました(苦笑)
1996年以降に出た米国の新装版(May I die before my voicesと題した前書きがついた)では、訳文で言うと、469ページ「ティモシーは歌った」から「唇から出た」までの6行分、およびその直後の「ティモシーは体をつかまれた」から470ページの「彼自身のからだにもどった」までの8行分がなくなっています。つまり、これらの版(RBによる決定版)で「集会」を読んだアメリカのRBファンにとって、ティモシーとシシーは永遠に仲直りしないまま終わっているのです!これはあまりに哀しすぎる・・・はろさまの情報では、これは初出(正確に言うと、オリジナルから『マドモアゼル』用に書き直した版)に戻したのだそうですが。勿論邦訳は旧いPBなので問題なし。

(F)Wonderful death of Dudley Stone
・・・・・・・・・ And on the empty scale
dozen books. I made some minor adjustments. The sixty
opposite I laid my pen, my ink, my empty paper, my
seconds were ticking by. (改行位置はHCに従う)

何度か読み直せばわかるように、2行目と3行目が入れ替わっています。Homecomingの入替わりと同様、米版PBでは修正されています(従って邦訳は問題なし)が、英版PBはHCを底本にしているので、入れ替わったままです。英版PBは、版組が違っているのに一行入れ替え誤植の語順のままですので、元の形を類推するのは困難、全く変なことになっています。一番変なのは、Gauntlet(およびその後のDelRey新装版)で、
And on the empty scale dozen books. I made some minor adjustments. Opposite I laid my pen, my ink, my empty paper, my sixty seconds were ticking by.
となっていて、誤植には気づいたものの、苦し紛れの修正をして意味不明の文章になってしまいました。これはDと同じ状況ですね。PB版を見るとか、RBに確かめるとかしなかったのか?Don Albrightは立派な書誌学者というが、これぐらい直せないとファンとはいえんぞ。それともRB本人の修正??まさかとは思うが・・・

さて、A~Fについて、種々の版を比較してみます。推測は交えず、私が所有していて確認できるものに限りますと、次の13種類に分類されます(他の版の所有者の補遺希望)。以前のBBSで一部不正確な記述をしているのに気づきましたが、いちいち訂正しませんのであしからず(汗

1. Ballantine HC, 1955(50部のpresentation copy, BBロゴが倒立と正立の3種あり、前2者が初版、後者が2版といわれるが、版組は同一) JM表紙・挿絵あり
2. Ballantine PB F139 (初版1956), F580 (2版1962), U2139 (3版1964), #02760 (4版1964), #01637(1971年版を所有), #32448 (1985年版を所有) DelRey32448 (1989年版を所有)の7種類の表紙があるが、すべて版組みは同じ。JM挿絵あり。最初の2つのみJM表紙
3. 英版Rupert Hart-Davis HC, 1956(初版), 1957(2刷) (この2つは同じ)以後の版は持っていないが、5刷まで刷られたらしい(現在実物を購入して確認中)。少なくとも最初の2つはJM表紙で挿絵あり。
4. Small Assassin(英版分冊PB、びっくり箱のみ該当)Ace H521(1962), Four Square 1234(1964, 1965), NEL 2816(1970) これら4種は誤植に関しては同じ。 JMなし
5. Small Assassin(英版分冊PB)Panther (1976)  JMなし
6. Small Assassin(英版分冊PB)Grafton (1976) JMなし
7. October Country (英版分冊PB)Ace H422(1961) Four Square H422(1963), Four Square 1233 (1964), NEL 2817 (1970), Panther (1976), Grafton (1976) これら6種は誤植に関しては同じ。JMなし。
8. Knopf,1970 上のどれとも一致せず、新たに活字を組みなおしたらしい。JMなしだが、ゴヤの絵を挿絵として使用。私は初版のみ所持している。1982年までに少なくとも6刷が出たらしいが内容未確認。
9. Del Rey, Trade paperback, 40785, 1996 “May I die before my voices”と題する新しい序文がついた大判のPB。表紙はJMではないが挿絵はJMを採用。ここから改悪のEが始まった。
10. Gauntlet 愛蔵版1997。私は52部のletteredしか持っていない。初版HCの復刻(表紙はRBの絵に置き換え)と思われたが、誤植の面から見ると9番の内容でAを修正したもの、という不思議な版。JM挿絵のうち「風」の挿絵はオリジナルとは異なるバージョン(Drawings and Graphics所収のもの。はろ様ご指摘)に置き換わっている。挿絵が入替わっているのはこの版のみ。この時期には、少なくとも「こびと」と「集会」の原画は Mugnaini家にもBradbury家にもなかったことがわかっているので、「風」だけが原画が見つからず別バージョンを使った、とは考えられない。風のみMugnaini家にあった原画を使い、それ以外はHCからのコピーと考えられる。元にしたHCの「風」が汚れていたのか?理由は不明。
11. Simon & Shuster, PB, 1998 出版社が違うのに、表紙以外はまるで9のコピーという、不思議な版。
12. Avon HC, 1999 内容は9番のHC版だが、序文が”Homesteading of October Country”というものに差し替えられている。JM挿絵はあるが、表紙はご存知の通り最悪。何版まで刷られたかは興味なし(笑
13. Del Rey, Trade paperback, 2001 9番の表紙をJM表紙(オリジナルのものを画像処理でいじってある)に差し替えたもの。誤植に関しては10番と同じだがJM挿絵は9番と同じという、わけのわからない版。

ここで、各作品が雑誌に採録されたり、作品集に収録されている場合のあることに気づきました。古雑誌収集をしていない私には荷が重いので雑誌は両巨頭に振るとして、次のメジャーな作品集に絞ってみます。

14. The Stories of Ray Bradbury, Knopf, 1980.
15. Bradbury Stories, William Morrow, 2003. ダッドリー・ストーンのみ該当
16. Bradbury Stories, Easton Press, 2003. 15番の愛蔵版、1000部限定、JMの口絵つき。

横軸にA~Fの誤植、縦軸に1〜16を並べると、次のようになります。英版PBと14〜16に関しては、収録されていない作品を―としています。
A B C D E F
1.× × × × ○ ×
2.× × × ○ ○ ○
3.× × × × ○ ×
4.− × × − − −
5.− ○ × − − −
6.− ○ ○ − − −
7.○ − − × ○ ×
8.○ × × × ○ ○
9.× × × × × ×
10.○ × × × × ×
11.× × × × × ×
12.× × × × × ×
13.○ × × × × ×
14.○ × × × ○ −
15.− − − − − ×
16.− − − − − ×

すなわち、完璧な版はないということですね。ただし、重大性には差があり、最後の3つが致命的ですので、最良のものは古い米版ペーパーバックということになります。JMのことを考えると、初版と2版ですな。こう見ていくと、Ballantine PB初版の翻訳がいまだに読める日本は幸せということか(2版が底本でないことは、創元旧版のJM表紙をみればわかります)。

こんなこともあって、私家版十月の英語版の必要性がますます大きくなりました(爆)

[445] 通せんぼしたワケではないのですが(笑 投稿者:Greentown 投稿日:2008/03/20(Thu) 15:06:39
理系様、網羅的かつ簡明にご意見を賜り(笑)、誠にありがとうございました。

○ご投稿をプリントし、自分の投稿と対比しつつ、「X」に胸をなで下ろし(笑)、「Y」に苦笑しつつ反省・同意し(笑)、「Z」に又胸をなで下ろし(笑)つつ、拝読いたしました。

○まさに理系様仰せの通り、『全体の翻訳トーンの問題』であり、特に【第三十三章】にお寄せ頂いた、『BY! CY!  DY! EY! (笑』に納得(笑

○なお、末尾に付されたご意見ですが、この大きな原因のひとつは、haro様が「落書きボード」#5593で指摘された次の諸点かと思います。haro様に無断で抜粋・再掲させて頂きますと・・・

【haro様のご意見再掲】

もともと大部な作品から『たんぽぽのお酒』に編集して、残りのエピソードからFSを構築したため、86歳のブラッドベリの“編集作業”に多少の解(ほつ)れがあるような気がしております。たとえば以下のようなところ――

◎4章の思いつき的な老人への敵意
本来、教育委員会によって学校の例年より早い始業や凧揚げなど楽しい行事の廃止という伏線があったものを削ったため読者に唐突な印象を与えているのでは

◎10章(日の落ちた墓地)から11章(昼の5セントショップと峡谷)における時系列的矛盾
これも本来別々の日のエピソードを無理につなげたための破綻。せめて出版社William Morrow編集部が指摘すべきだったと思いますが

◎25章のダグとトムの突然の翻意
ここは編集がなさそうですが、悪事を働いた晩に兄弟そろってよい子になるのは個人的には不自然さを感じます

【再掲部分、以上で終わり】

○上記ご指摘のうち、特に第十章〜第十一章前後の時系列の乱れはひどく(笑)、少々具体的に書きますと・・・

@トムが少年たちの集合場所として墓場を勧め、他の連中はチャーリーの招集により8時に渓谷の橋で集合する予定となる。よって、連中は、少なくとも「予定」ベースでは、8時以降に墓場にいる筈である。

Aところが、いざ10章になると、twilightという言葉が使ってあり、「日陰」らしき描写もあり、どう考えても(遅くとも)5〜6時の描写としか思えない。

Bその後の、菓子を買い込んで峡谷に向かうエピソード、10章の終わりのトムのセリフや、つながりを考えると、墓場から(店経由で)峡谷に直行したとしか思えない。

Cところが、峡谷のエピソードを読むと、昼間の描写としか思えない。因みに、『アイスをぺろぺろ舐めている幼女』がいること自体が(常識的には)昼間であることの証左のひとつ(笑

○その後、連中は、冷たい水のある「おばあちゃんの家」に進軍しますが、上記@〜Cの行動が、8時に集合した起点から連続しているとすると、「おばあちゃんの家」に着くのは、早くても夜中の12時頃だと思われます(笑

○ついでに言えば、「カボチャを持ってこい。コンテストだ(大意)」と命令しておきながら、知らぬ顔で走り出してしまうのもヘン(笑
ひょっとしたら連中、あれから「店 ⇒ 峡谷 ⇒ おばあちゃん宅 ⇒ 速攻でカボチャ彫り ⇒ クォーターメイン氏邸」という道順を辿ったのでしょうか? 夜が何時間続いても間に合いそうもありませんが(笑

○以上、haro様とも意見が一致しましたが、RB先生の頭の中で時間軸が完璧にブレているとしか思えません。推測ですが、元々は9章と10章の間、または10章と11章の間(など)に、別途1章分くらいが入っていたか、または各エピソードの繋がり自体が、今とは違っていて、それらを削除・修正するなかで、時間と日付だけが取り残された、ということではないでしょうか。
カボチャ、墓場、菓子購入、断食、は、元々、もっと長い、別々のエピソードだったのを、切り張りした為に、訴求力が失せてしまったのではないかと推測しています。

○また、リザベルちゃんも、或る意味、決定的な役回りなのに、なんだか科白にキレが無く、存在感が極めて薄い(笑

○とはいえ、小生にとっては名作(笑)でして、RB先生に対する本作へのご不満を、代わりにお受けし、お詫びしたいくらいの心持ちでおります(笑

[444] クラーク氏の訃報を聞いた日に 投稿者:理系の男 投稿日:2008/03/19(Wed) 19:42:04
Greentown様の連続投稿の最後が返事を求める文章で締めくくられているので,別ネタを投稿するには敷居が高く,しばらく躊躇していたのですが,とりあえず私の反応を出させて頂きます.

たんぽぽに思い入れの少ないわたしにとって,そこまで拘らなくても(笑)という部分が殆どなので,これはむしろ,全体の翻訳トーンの問題かと.Greentown様の私家版を早く拝見したいものです.以下は個人的感想ですので,ご放念を.
簡単のために,X=意味が変わっているので修正案に同意 Y=気持ちはわかるがそんなに目くじら立てなくても・・・(笑   Z=私には全く理解不能, と分類しました.

【第一章】@ X A Y B X C Y(その後はZ)
【第二章】Y
【第三章】@ Y A X B X
【第五章】@ Y A Y B Y
【第十章】@Y A X
【第十一章】@ X
【第十三章】@ Y A Y B X
【第十六章】@ X
【第十七章】Z
【第十八章】@Y A Y B Y
【第十九章】@ X〜Y
【第二十章】@ Y(私が先入観を持たずに原文を読んだ感覚では,時計が時報を告げる直前のカリカリという音に次いで大きな音の鐘が鳴った,という情景が浮かびました)
A Y
【第二十一章】@ Y
【第二十二章】@ X A X〜Y B X C Y
【第二十四章】@ X
【第二十五章】@ Y A Y
【第二十六章】@ Y
【第三十章】 @ X A これは,hellが正式な言葉,というよりも,言ってはいけない言葉(言うと,親に叱られる)なので,heckに言い直した(それでも怒られますがね)と解釈していましたが.
【第三十一章】@ X〜Y A Y B Y C Y D Z
【第三十二章】@ Y AY figureは,私の個人的体験では,「わかってはいるが言葉にできない」というよりも,「混乱して理解に至らない」と言うときに使っていました.
【第三十三章】@ Y AY BY! CY! DY! EY!(笑
【第三十四章】@ X〜Y
【第三十六章】@ Z AY A Z
【第三十七章】@ Y A Y B Y ただ,確かにこの辺り,「あのこと」をこんなにうまく表現した作品例は寡聞にして知りません.CX DY

この作品,悪くないですけれど,どうも,ガキどもの一連の行動がひどすぎて(その動機に必然性というか,納得性がない)感情移入できませんでした.恐らく思春期前後の少年の性的衝動を描ききっていない(行動と結びつけていない)からだと思います.たんぽぽは,少年期の(ちょっと幼すぎるぞ)甘酸っぱい気分をうまく表していて嫌いじゃない(殴られそう)んですが・・・

[442] さよなら、僕のFarewell Summer【第三十六章・第三十七章】 投稿者:Greentown 投稿日:2007/10/21(Sun) 10:24:50

【第三十六章】
@
<訳本P213/ll.6>
「かく移りゆく【「現世の栄華はかく移りゆく」(ラテン語)】数々を整理してみないかね、〜」
<原 文>
“Why don’t we sort out sic transits, 〜”
<内 容>
○さて、これは(小生には)難しい(笑)。
○訳注を付されているラテン語のフレーズは、”Sic transit gloria mundi”。(“So transits (passes away) the glory of the world”の意でしょうか)ですが、問題は、先生が ”sic transit ’s’ ” と書いていること。
○ご承知の通り、英語には ”sic” という動詞があり、【1】攻撃する,攻める(attack).特に犬に対する命令(“sic ‘em!” =「かかれ!」)、【2】〈犬などを〉(…に)けしかける,そそのかして攻撃させる、とのこと。
○また、“transit” は、(名詞では)「推移、変遷」、「経路、輸送路」、「通過、通行」。
○というわけで、もし先生が、(この後の「戦争の犬」との関連で?)”sic” を用い、”transits”を英語の名詞の複数形のおつもりで書かれたのなら、それなりに英語として訳さなくてはならないし、単にラテン語のフレーズ(の一部分)を書き間違えたのなら、訳本のままで良いことに(笑)。一度、”sic transit” という部分を「かく過ぎ去るもの」という英語の名詞句として使うのかどうか、米国人に訊いてみようと思います(笑)。
○以上、情報ご提供まで。因みに小生はいまのところ、英語として捉えています。

A
<訳本P215/ll.8>
「何を考えているか知らんが、訊かれるまえに、わしに質問させてくれ。」
<原 文>
“Before you ask me whatever you’ve got on your mind, let me ask you something.”
<対照例>
「あれこれと尋ねたいことはあるんだろうが、その前に、質問をさせてくれ。」
<内 容>
○“whatever you’ve got on your mind” が目的語ですが、「何を考えているか知らんが ⇒ 訊かれるまえに」というのは、少々わかりにくいかな・・・??

A
<訳本P219/ll.3>
「君が最終的に舌を解放することができて〜」
<原 文>
“When you finally unhinge your tongue and〜”
<対照例>
「いつの日か、お前さんの言葉が尽きて〜」
<内 容>
○調べた限り、尋ねた限りでは、”unhinge one’s tongue” という成句はなし。直訳は「舌を蝶番から外す」(笑
○このブラッドベリ語を解読するには、文学的解釈しかないかと思われ、余り得意ではないので、情報のご提供に留めます(笑
○因みに小生は、「舌を外したら、喋れまい」という、子供みたいな理解で(笑)、「言葉を尽き」させてしまいました。


【第三十七章】
@
<訳本P220/ll.1-2>
「だれかがなにか言ったか、あるいは叫んだために〜」
<原 文>
“〜someone had said something or called out〜”
<対照例>
「〜誰かが、何かを言ったか、呼び掛けたからだった。」
<内 容>
○”call out” は「呼ぶ」ではないかと・・・???

A
<訳本P221/ll.5>
「最低生活状態の友人だが、それでもいまだに、友人ではある。」
<原 文>
“A bare subsistence of a friend, but still, friend.”
<対照例>
「かろうじて命脈を保っている友―だがそれでも、友は友だ。」
<内 容>
○”bare” = 「ようやくの, かろうじての, たったの, ただそれだけの」、”subsistence” = 「存在、生存、実在」と取ると、対照例になります。訳例として、ご参考までに。

B
<訳本P222/ll.9-10>
「記憶の苗床・・・の気配、さてことばはなんとしたものだろう、だれもがふたたび活力をかきたてられていねこの不思議な気象のこの町で?」
<原 文>
“〜, a seedbed of memory, a touch of... what was the word out there in the town in this strange weather when everyone’s juices roused again?”
<対照例>
「思い出の苗床、そしてこの感触・・・人の活力がもう一度掻き立てられる、この奇妙な季節に、町で交わされる言葉は何だったか?」
<内 容>
○”a touch of...” の点々を、どうとるかのお話(笑)。訳本は、その前の「自分を笑顔で迎えてくれる、優しくて、えも言われぬこの脈動、春を約束するもの、思い出の苗床」(試訳)「の、感触」、と取られています。一方小生は、「??の感触」として、敢えて何であるかを示さず、読者の想像に委ねて、余韻を残しているのだろう、と解釈。
○”out there in town” とありますので、てっきり小生は【対照例】の意だと思っていましたが、いかがでしょうか???
○因みに、ここが含まれる段落あたり、本作の中でも、とても好きな部分。恥ずかしながら、眼をウルウルさせながら訳してました(笑)。従って、訳本でこの後に続く、「夏の別れ。 ⇒ いやはや、たしかに。 ⇒ まだ行かないでくれ〜」は、中高年の感傷の盛り上がりに、見事に水を差して下さる処理(笑)。特に、「いやはや、たしかに」は白眉(笑)。
なお、当該部分の原文は ”Dear God, yes.”。
ご参考までに当方の試訳では、上記【対照例】に続いて、次のように処理。
さらば、夏よ。
ああ、神様、そうでしたね。
まだ行かないでくれ。ここにいてくれ。友だちが必要なんだ。
さあ、中高年・老年の皆様、ワタシと一緒に涙ぐみましょう(爆

C
<訳本P223/ll.3>
「これは治療なのか?」
<原 文>
“(Am I cured?) Is this the cure?” (筆者注: ”this” はイタリック)
<対照例>
「こいつが、治った証拠なのか?」
<内 容>
○「わしは気が触れていたのか? もう治ったのか?」(試訳)に続く部分。”cure” (名詞)は確かに「治療(法)」ではありますが、「これは治療なのか」の「これ」の指すものが、小生には分からない(笑
“cure” = 「治癒、平癒、回復」でもあるため、当方は【対照例】に。但し、「証拠」は訳し過ぎ(笑

C
<訳本P226/ll.14>
「みつけてください。」
<原 文>
“You’ll find out.”
<対照例>
「いずれ分かるよ。」
<内 容>
○これは、いくらなんでも、【対照例】の意では???

D
<訳本P227/ll.11>
「はい。」
<原 文>
“Yes.”
<対照例>
「いたよ。」
<内 容>
○会話の流れから、「(ガラス瓶の中に)いたよ」という答えだと思いますが、どうでしょうか???


☆というわけで、以上、全編について、ご相談箇所を列挙させていただきました。追ってのご指導をお待ちしております。

[441] さよなら、僕のFarewell Summer【第三十一章〜第三十五章】 投稿者:Greentown 投稿日:2007/10/20(Sat) 22:08:06

○og様、ご支援(笑)ありがとうございます。「疑問が〜」の場合と違って正確な訳本なので、とっても楽ですし(爆)、訳本から教えていただいて手直しした箇所も、只今のところ3箇所。有り難いことです。
○ただ、私家版との「イメージ」の違いは、如何ともしがたい。og様ご指摘のように、ファンの方はぜひ、めいめいの私家版を(笑


【第三十一章】
@
<訳本P164/ll.3-4>
「一歩進むたびに、たとえそうしたくなくても」
<原 文>
“Every time you take a step, even if you don’t want to,”
<対照例>
「いつだって、人は、たとえ望まなくとも、前に進まなきゃならん。」
<内 容>
前半部分をevery timeの「節」と取られている模様。小生は、副詞+無人称の命令形と取りました・・・さて、どうしたものでしょうか???
訳本の科白の前半と、その科白の後半(試訳をアレンジ)とを併せ、この科白の骨組みを記載してみると、『不本意に一歩踏み出すたびに、(たとえ痛みが伴う時でも、死神と膝を突き合わせてる時でも、それこそ死んじまいそうな時でも、)それは良いことだ。』となり、少々奇妙かと思えるのですが・・・

A
<訳本P166/ll.2-5>
「わしはあの少年を見たよ」
「(中略)まるでわしがだれか新しい者であるかのようにわしを見つづけていた。そのことか?それともなにか?」
<原 文>
“I saw him.”
“(中略)He kept looking at me as if I were someone new. Was that it? Or what ? ”
<対照例>
「見てたよ。」
「まるで初めて出会った人物みたいに、じっと、わしの顔を見ていた。そう見えたのか? そうでなきゃ、なんなんだ?」
<内 容>
○確かに「私は彼を見た」なんですが、ブリークがいきなり、別の論点を持ち出しているように(小生には)読めてしまいますので。
○「新しい者」という言葉に、小生は違和感が・・?? 
○“Was that it? ” は、「そのことか?」(??)というより、「実際にそう見えたから、彼は私を見ていたのか?」の意ではないかと・・

B
<訳本P169/ll.7-8>
「〜じつにいらだたしく、じつに素敵で、じつに怖い、そして最後に、じつに彼自身にとって望めないもの。」
<原 文>
“〜so irritating, so wonderful, so frightening, and, in the end, so lost to himself.”
<対照例>
「実に腹立たしく、実に驚異的で、実に恐ろしい、そして、結局は、もはや彼自身には与えられないもの。」
<内 容>
“so” の連続感を出そうと思うと、訳本の「じつに」の連続に。ただ、「じつに望めない」という言い回しには、少々違和感が。一方、”lost” の解釈という面では、小生は意訳のし過ぎでしょうか(笑)。「望めない」で、全く問題ないと思いますし、むしろその方が。

C
<訳本P169/ll.10-12>
「わしらが駆け回っているように、やつらを走りまわらせて、そしてしぼませて、そしてしぼんだことにショックを受け、死ぬことを望んだのだ、いまわしが死のうとしているように。」
<原 文>
“I wanted them to race about, like we run about, and wither, and be shocked by their withering, and die, like I’m dying.”
<対照例>
「わしが望んだのは、連中があたふたと競争し、わしらみたいに駆けずり回り、やがて衰え、衰えたことに衝撃を受け、わしが死にゆくように、死んでいくことだった。」
<内 容>
○一応 ”race” が使ってあるので「競争」を・・・??
○”wither” は、要は「減退、減衰」の意。というわけで、小生は一応、人間に用いる言葉に。ただし「しぼむ」でも、感覚語としては全く問題なし。

D
<訳本P171/ll.9-11>
「ここにあるのがおまえさんの人生だな、大人の身体をした子供さ。まさにぴったりだ。時間と忍耐があれば、かれらをみんな《孤独の人》にすることもできようて。あんたは戦略を間違えた。」
<原 文>
“There’s a life for you, there’s a child in a man’s body. That’s the ticket. You could make Lonely Ones of them all, given time and patience. You used the wrong strategy.”
<対照例>
「人には人生というものが与えられて、その身体の中には子供がいる。それが狙い目さ。あんたに時間と忍耐さえ与えれば、連中を残らず、『一匹狼』にすることができるだろう。あんたは戦略を誤ったんだ。」
<内 容>
○ここは全くの「乞うご教示」箇所(汗)。(小生には)ものすごく難しい部分。
ただ、愚考するに、訳本のように最初の ”you” をクォーターメインととるなら、次は ”〜in your body” となるのではないかと??? やむなく小生は、無人称で理解。
○”the ticket” については、訳本同様、口語の『適切な[望ましい,おあつらえ向きの]こと[もの],必要なもの』を採用。ただし、前後の文意をどう捉えるかによって、日本語が全く異なります。
○訳本では、3番目の文の ”you” を無人称でご理解。一方当方は、その後に「あんたは戦略を誤った、こうすればよかったのに(大意)」と続くため、クォーターメインと理解。
○因みに「たんぽぽ」私家版では ”Lonely One” を「一匹狼」と(杜撰に)処理しているため(笑)、対照例にはそれを採用。どうかご放念を。


【第三十二章】
@
<訳本P178/ll.8-9>
『「タ、タ、ター。タ、タ、ター」彼は「葬送のらっぱ」を口ずさんだ。』
<原 文>
“Ta-ta-tahhhh. Ta-ta-tahhhh.” He hummed. “Taps.”
<対照例>
「タ、タ、ター。タ、タ、ター。」まだ歌っている。「タップスだよ。」
<内 容>
○単なる情報ご提供。原文ではトムのセリフ「タップスだよ」があります。訳本では、訳注の代わりに、上記の処理を施されたものと。小生は訳注(Taps = 「米軍の消灯あるいは葬送のラッパ」)で処理。

A
<訳本P182/ll.5>
「誰もが勝った史上最初の戦争。僕には考えられない。」
<原 文>
“The first war in history where everybody won. I can’t figure it.”
<対照例>
「史上初の、みんなが勝った戦争なんだ。うまく言葉で言えないけど。」
<内 容>
○ええと・・・「そんな戦争があるなんて、僕には考えられない」の意に(場合によっては)読めますが、果たして、その意なのか ??
ここの “figure” をどうとるかについて、ご相談。


【第三十三章】
@
<訳本P187/ll.1-2>
「ぼくらはその辺にたむろして見つけないといけないのだと思うよ。」
<原 文>
“I think we should hang around and find out.”
<対照例>
「僕らは、ここに残って、真相を突き止めるべきだと思う。」
<内 容>
○「見つけないといけない」(何を?)は、少々分かりにくいかな・・・??

A
<訳本P188/ll.7-8>
「また叫び声がしたら、ぼくはここを出よう。」
<原 文>
“If there’s another scream, I’m getting out of here.”
<対照例>
「もう一度悲鳴が聞こえたら、僕は逃げることにするよ。」
<内 容>
○一応、連中は「ポーチの階段近くにある、茂みの脇に立って」(試訳)いるので、「出る」わけにはいかないかと・・・?? まあ、「敷地を出る」の意ともとれますが。

B
<訳本P191/ll.11>
「恐ろしいことだわ」
<原 文>
“That’s terrible.”
<対照例>
「ひどいわ。」
<内 容>
ええと・・・(笑)なんとなく、対照例の方が、流れが良いと思いませんか(笑)??

C
<訳本P191/ll.15〜P192/ll.1>
「そうね」と、リザベルは、怒ったように言った。「まさにそのことであなたに教訓をあたえてあげるわ」
<原 文>
“Well” said Lisabell, angrily. “Just for that, I’m going to teach you a lesson.”
<対照例>
「とにかく」怒った顔で、リザベルが言った。「おしおきをしてあげるわ。」
<内 容>
○ええと・・・(笑)どうでしょう???(笑)小生のは、可愛らし過ぎますか(爆)?

D
<訳本P192/ll.13>
「そうらみて!」と、彼女は叫んだ。「それで仕返しね」
<原 文>
“So there!” she cried. “That’ll fix you.”
<対照例>
「ほうら!」彼女が叫んだ。「これで良い子になるわ。」
<内 容>
○二番目の科白の原意は、「それがあなたを整える、修繕する、固定する、であろう」かと思いましたので、対照例にしましたが、どうしましょうか(笑)??

E
<訳本P193/ll.4-5>
「こころは、なにが起こったのか、リザベルはどこに行ったのか不思議がっていた。」
<原 文>
“〜his mind wondering at what had happened and where Lisabell had gone.”
<対照例>
「心は、何が起こったんだろう、リザベルはどこへ行ったんだろう、と訝っていた。」
<内 容>
○「不思議がる」というか・・・??? ちょっと、細部に引っかかり過ぎでしょうか(笑)??


【第三十四章】
@
<訳本P194/ll.9〜P195/ll.1-3>
「〜終わったと言ったと思ったぞ!」
「それだ、それだ」
「それがなんだって?」
「終わったよ」
<原 文>
“I thought you said the damned thing was over!”
“It is, it is.”
“It is what?” (筆者注:”what” はイタリック)
“Over,”
<対照例>
「〜わしの記憶では、お前さんは、もう終結したと言った筈だがな!」
「そうだよ、そうだとも。」
「何がそうだって?」(筆者注:試訳では「そう」に傍点)
「戦争は終わった。」
<内 容>
○“It (= ”damned thing” = ”war” ) is (over), it is (over).” の意の反復強調ですので、「それだ、それだ」は、いかがなものかと・・・???

というわけで、あと一回で終わりにします(笑

[436] さよなら、僕のFarewell Summer【第二十章〜第三十章】 投稿者:Greentown 投稿日:2007/10/09(Tue) 22:20:41
○落書きボードでharo様に見捨てられたので(笑)、自爆覚悟でご投稿を継続。

【第二十章】

@
<訳本P102/ll.4-5>
「〜カチカチと喉をならして、真夜中の音を解き放った。」
<原 文>
“〜, cleared its ratchety throat and let free a midnight sound.”
<対照例>
「〜歯車止めでいがらっぽくなった喉で咳払いし、真夜中の音を放った。」
<内 容>
○“ratchet” は、「歯止め」、「つめ車装置(つめとつめ車による伝動装置)、つめ車, 鋸歯車, 歯止め、(歯止め・つめ車などの)つめ」だそうで、良く分かりませんが、時計の構造上の歯車装置か歯止めのことなんでしょう。
○一方、”ratchety” という形容詞は、ありません(笑)。必殺のブラッドベリ語でしょう。直訳すると「歯車っぽい(?)喉を咳払いした」に。
○「咳払い」が欲しかったのと、「カチカチと喉をならして〜解き放った」ですと、打刻音が聞こえているように(小生には)読めてしまうので、敢えてご参考までに。もちろん、時報の鐘が、大音量で鳴り響いているわけですね。
○なお、”ratchety” という言葉は無いわけですから、各人各様の解釈が可能(笑)。小生の例も、あくまでもご参考。

A
<訳本P102/ll.10,15>
a.「時がみずからを要約して」
b.「肉が雪になった」
<原 文>
a. “〜as time summed itself up.”
b. “His flesh turned to snow.
<対照例>
a.「刻(とき)が自分を足し上げてゆく」
b.「肉体が雪に変わった。」
<内 容>
a. この場合は、「総計する≒足し上げる」方が適当かと思いますが・・?
b. 直訳は「彼の肉体が、雪に変化した」。「肉が〜」だと、分かりにくいかな・・・


【第二十一章】
@
<訳本P105/ll.12>
「真っ赤に燃えて、明るく輝き」
<原 文>
“〜, glowing, luminous,〜”
<対照例>
「闇に煌々と光を放ち」
<内 容>
“glow” =「熱して輝く、白熱光を放つ」ですので、色のイメージが強烈すぎる、「真っ赤」は敬遠したいところ。当方は、手抜き工事で一括処理(笑)。


【第二十二章】
@
<訳本P107/ll.5>(P108/ll.10)
「姉さん」
<原 文>
“My sister said〜”
<対照例>
「妹」
<内 容>
ここで触れられている、DWのベントリー婦人のくだりには、Alice, Jane, Tom Spauldingが登場します。@この三人が同年代だとし、Aダグとチャーリーが同年代であり、Bトムがダグの弟であることを考え合わせると、恐らく「妹」が正解では??

A
<訳本P108/ll.14>
「おまえ」
<原 文>
“(Boy, Charlie,) you (sure think of things!)”
<対照例>
「チャーリー」
<内 容>
上記@のとおり、トムはチャーリーより年下。従って日本的に考えれば、「おまえ」、「君」という二人称代名詞は避けたいところ。トム ⇒ チャーリーの科白で ”You” がある場合、当方は「主語抜き」、もしくは「チャーリー」で処理(笑

B
<訳本P112/ll.5>
「上に下に、上に下に、何度も何度もだ。」
<原 文>
“Up down, up down, over and over.”
<対照例>
「起きろ、寝ろ、起きろ、寝ろ、って、何度も何度も―」
<内 容>
この文の内容から考えて、対照例の意だと思っているのですが、いかがでしょう??

C
<訳本P112/ll.11〜12>
「それからかれらは歓声をあげ、大声で叫びだして、ダグラスさえも、自分をさしおいて急場を救ったのが弟であることを忘れようとした。」
<原 文>
“Then they began to cheer and yell, even Douglas, trying to forget it was his younger brother, not himself, who was saving the day.”
<対照例>
「やがて、誰もがトムを囃(はや)したて始め、ダグラスでさえ、今日という日を救いつつあるのが、自分ではなくて弟のトムであることを、なんとか忘れようと努めながら、皆に加わっていた。」
<内 容>
この文は、“even Douglas (did it), trying to forget〜” の意だと思いますが・・・?? さもないと、分詞構文だけで主動詞が無い??(笑)


【第二十四章】
@
<訳本P119/ll.5>
「トイレはけっして鍵をかけたりはしないんだ」
<原 文>
“They never lock the men’s room.”
<対照例>
「男のトイレに鍵を掛けるやつなんかいないよ。」
<内 容>
前章から「トイレ」として使ってある言葉は、”men’s” またはこの、”men’s room” 。「女性用なら、施錠するのかい?」と訊かれても困りますが(笑)、とりあえず「男性用」トイレが話題になっている、という情報のご提供。


【第二十五章】
@
<訳本P131/ll.10-11>
「時計はちゃんと動かないといけないんだ。きっとちゃんと動くようになるよ。」
<原 文>
“It’s gotta work. It’s gonna work.” (筆者注:”gonna” はイタリック)
<対照例>
「そうに違いない。きっとそうなるよ。」
<内 容>
ここで「時計は動かなくてはならない」という主張は、やや不相応か?? 「そうに違いない」の意であると思われますが、いかがでしょう??

A
<訳本P131/ll.14>
「そのアイスクリームのぼくの分け前をよこせ。」
<原 文>
“Dibs on some of that ice cream.”
<対照例>
「僕にも、アイスクリームを食べる権利はあるよな。」
<内 容>
「しっとりとした」、兄弟の会話が続く、とても良い章ですね。というわけで、「(ひとりで喰わないで)分け前をよこせ!」と(小生には)読めてしまう訳文は、やや突飛に聞こえてしまいます。【いかん、また趣味の問題か(笑)】


【第二十六章】
@
<訳本P133/ll.14-15>
「どうもいま町は、多くの少年たちがとつぜん病気を言いだすやら、なにやらで、学校を休んでいて困っているようだ。」
<原 文>
“〜and it seems to me that right now the town is afflicted by lots of boys who are suddenly staying home from school, sick, they say, or something or other.”
<対照例>
「どうやら今、町は大勢の少年(こども)たちに悩まされているようだ―連中は揃って、病気だとかなんとか言って、唐突に、学校を休んでいる。」
<内 容>
確かに関係代名詞は制限用法なんですが、話の脈絡として、「学校を休まれて、町が困っている」という展開は、少々難しいかな・・???


【第三十章】
@
<訳本P151/ll.4>
「なんだってとつぜんクォーターメインが大騒ぎをしなきゃならないんだ?」
<原 文>
“How come all of a sudden Quartermain isn’t making a commotion?”
<対照例>
「なんでまた、クォーターメインはいきなり、騒ぎ立てるのをやめたんだ?」
<内 容>
一応、”isn’t” ですので・・・

A
<訳本P153/ll.3>
「くそっ」(中略)「ふん、ということ」
<原 文>
“Hell” (中略) “I mean, heck.”
<対照例>
「こいつは」(中略)「本当に、まずいぞ」
<内 容>
なんとも、こういうのは難しいのですが、敢えてむりやり解読するならば、「(呪い言葉としての)地獄」と言ってから、「そんな正しい言葉で言っている場合ではない、(地獄の意の)俗語の『ヘック』という段階だ」、てなところでしょうか。さりとて、「ふん、ということ」も如何なものかと存じますので、ここはきっぱり諦めて、適当な科白をあてるしか無いと思うのですが(笑)、どんなもんでしょうか・・・???


Re: さよなら、僕のFarewell Summer【第二十章〜第三十章】 投稿者:og - 2007/10/18(Thu) 17:32:13
Greentownさま。ご苦労様です。この投稿は、それぞれのファンが、原文を読むときにも大変参考になると思います。

また自分なりの日本語訳本があってもいいじゃないかええじゃないか〜わっしょい。ですね!

自分達で楽しむ分には関係ないでしょうけど、
余り微妙な事も言えませんが・・・
いっそ製本して、自分なりのイラスト入れてとかしたら感慨もひとしおでしょうね。良く夏目漱石の著作がそうやって豪華本が出てましたよね!

ところで、出版物の著作権が切れるのは日本は50年ですけど、米国の確か70年でしたか!?
私は最近、青空文庫の作品をNintendo DS Liteに入れて読んでたりします。何百冊と入るので(メモリなので)旅行とかだと本がかさばらず気分に合わせて選びながら読めるので良いです。

[435] さよなら、僕のFarewell Summer【第十一章〜第十九章】 投稿者:Greentown 投稿日:2007/10/08(Mon) 09:02:33
【第十一章】
@
<訳本P57/ll.15>
「くたばれ」
<原 文>
“Lucky crawfish.”
<対照例>
「運の良いザリガニどもだな。」
<内 容>
「Orange Crushが飲めるとは、運の良いザリガニめ」と、とても素直に読んでいましたが、はてさて−3。

【第十三章】

@
<訳本P67/ll.13>
「墓の端をあんなにしっかりつかんじゃ、とにかく飛び込むしかない。」
<原 文>
“When you hold that tight to the edge of the grave, you should just jump in.”
<対照例>
「あんなに必死で墓穴(はかあな)の縁にしがみついてるんなら、いっそのこと飛び込んじまえばいいのさ。」
<内 容>
・・だと思ってましたが、どうお思いになりますでしょうか???

A
<訳本P69/ll.5-7>
「いずれいつかかれらも頭に冬をいただいてふらふらと通りすぎていくのを見ることになるだろうよ。復讐はしずかにちびちびと飲むことだ。」
<原 文>
“Someday soon you‘ll see them wander by with winter in their hair. Sip your revenge quietly.”
<対照例>
「そのうち、髪に冬を宿して、あたりをうろつき回るあの連中と、すれ違うことになる。静かに味わいつつ、恨みを晴らすんだな。」
<内 容>
○原文通りに「髪」であれば、「白髪」を示唆していることが、容易に想像いただけるかと思いますが、少なくとも小生には、ちと分かりにくい・・・
○直訳は「静かに復讐を啜れ」。もちろん訳本も趣意をご理解の上とは拝察しておりますが、拝読すると、(少なくとも小生は)どうしても、「酒をちびちびと飲む」ことを想像してしまうので・・・

B
<訳本P70/ll.3-4>
「素敵な女性を見れば、ふん、憤慨にたえぬわ。そんな春のアクロバットみたいな考えは死んだ暴君には不向きだね。そこでだ、〜」
<原 文>
“When I see a fine lady, God! I know outrage. Such spring cart-wheel thoughts are not for dead pharaohs. So〜”
<対照例>
「べっぴんさんを見れば、わしだって羽目を外したくなる。そういう、春に荷車を引くような想いというのは、死んだファラオのためにあるんじゃない。だからな、〜」
<内 容>
○この部分の前にある、「わしはな、明け方に部屋の鏡に映る、行き場を失って、孤独そうな、あの男の顔を見るのが大嫌いなんだ!」(試訳)は、「しょぼくれた自分の姿なんて見たくもない」の意。続くこの部分は、「わしにだって、精力は残っておる」の趣旨で、肯定的に取るべきかと思っていたのですが・・・???
○因みに、”spring cart-wheel thoughts” は、ブラッドベリ語(笑)だと思うので、意訳しました。その意味では、「春の荷車の想い」でも、「春に荷車の車輪が廻るような想い」でも、ナンデモアリかも(笑)。


【第十六章】
@
<訳本P82/ll.5-6>
「〜クイーンが、おののき、さまよい、君主国は瓦解した。」
<原 文>
“〜queens trembled and drifted as monarchies fell in ruin.”
<対照例>
「〜女王たちは、領国が壊滅の危機に瀕するにつれ、身を震わせ、遍歴を重ねる。」
<内 容>
「ただいま対戦中」の描写だと思いますので・・・???


【第十七章】
※この章の末尾については、継続審議中なので(笑)差し控えますが、現状では、「奴の行く末が聞こえるぞ。本当に死にかけてるんだ。」としております。乞うご意見。
<原 文>
“I can hear what he’s up to. That’s dying all right.”


【第十八章】
@
<訳本P88/ll.7-9>
「嵐は、自分のせいで少年たちがさらに先を急いで昇り、いっそう大きな声で笑って、一人また一人と、跳びあがっては床のうえに輪になってあぐらをかいてすわるのをみて喜んだ。」
<原 文>
“〜the storm taking delight in its ability to make them climb faster and laugh louder as they leapt and settled, one by one, Indian style, in a circle on the floor.”
<対照例>
「〜嵐はといえば、少年たちの登攀の足をいっそう速め、いっそう大きな笑い声を立てさせる、自らの力を楽しみ、少年たちは跳びはねて、やがて、ひとり、またひとりと、インディアンみたいに、床に輪になって坐り込んだのだった。」
<内 容>
原文は、12行に亘る、先生お得意の長文で、訳本で言えば、2〜9行がひとつの文です。こういう長文を見てウキウキしてしまう小生は、もはやマゾヒストか(爆
そんなことはどうでも良いのですが(笑)、恐らく、”as” の前で切るのが、妥当ではないかと思っているのですが、如何お考えでしょうか・・??

A
<訳本P88/ll.13>
「彼は駒をぼいとまえに投げて置き、まるで犬を戦争によび集めるかのようだった。」
<原 文>
“He tossed them forth to settle, like dogs called to war.”
<対照例>
「戦争にかり出された犬を落ち着かせるみたいに、彼は、駒をひとつずつ投げてやった。」
<内 容>
先生お得意の感覚文(??)で、小生には、とっても分かりにくい。”settle” が自動詞とも思えないのですが、目的語がない(笑)。一応、”settle them down, who looked like〜” みたいな意で読んでましたが、どうなんでしょうね???

B
<訳本P89/ll.12>
「だれかもっとうまくやれる者がいるかい?」
<原 文>
“Can anyone do better?”
<対照例>
「もっとマシなことをやれるやつはいるかい?」
<内 容>
恐らく、「チェス駒の窃盗をもっと上手くやれる者」の意(に、小生には読めてしまう)ではないと思いますので・・??


【第十九章】
@
<訳本P95/ll.5-7>
「初老の男が、あまり空想的でない木の枝のしたで、〜飲んでいるのが見られた」
<内 容>
○恐らく各位も、「なんのこっちゃ」とお思いになるでしょう(笑)。『「あまり空想的でない木の枝(“not too imaginary bough”)のした」って、なんじゃらほい?』と(再笑

○この箇所については、haro様の教養により、恐らく100%近い確率で、参照すべき原典が判明しています。

○haro様にご教示いただいた概要を、無断で(haro様、済みません)引用させていただきますと・・・

☆オマル・ハイヤーム(筆者注:11世紀ペルシャの詩人)の「ルバイヤート」(筆者注:当該詩人の四行詩集の題名)に、以下の詩篇がある。
12
A Book of Verses underneath the Bough,
A Jug of Wine, a Loaf of Bread - and Thou Beside me singing in the Wilderness- Oh, Wilderness were Paradise now!

こずえの下に 詩(うた)の巻
美酒の瓶に パンの切れ
そして汝が 歌いなば
人無き里も 浄土なり

☆「ルバイヤート」の中でもこれを代表歌と説明している文献が多く、英語文化圏(原語はペルシア語だが、19世紀末の英国の詩人フィッツジェラルド訳で一躍有名になっている)の知識人には広く親しまれていた感がある。お祖父ちゃんの書斎の形容として、Paradiseというべきところの枕詞を「ルバイヤート」から引用してきたものと推測される。

○というわけで、樹下の読書、パン、葡萄酒、という、古代の野外を思い起こさせる3点セットで、「楽園」を示唆しているものと。

○そのために、家の中にあるはずもない「大枝」だの、「一見サンドウィッチと見えるパンを食べ、」(試訳)だの、「地下蔵のワインの入った水差しを、無造作に引き寄せる」(同前)という語句が登場。
要は、「枝はないけど、樹下に書を紐解いているさまを想像してね。サンドウィッチに見えるだろうが、パンなんだよ。ルバイヤートの楽園を想起しておくれ。」と、先生は仰せなのでしょう。

以上、またも分量の関係で、一旦切らせていただきます。

[434] さよなら、僕のFarewell Summer【第二章〜第十章】 投稿者:Greentown 投稿日:2007/10/08(Mon) 08:43:16

○連休で暇なもので、やっぱり、続き物に・・・(笑
○しかしながら本書、訳者の方が神経をお使いになって、誠実に訳されていることが、ひしひしと感じられる、とても正確な訳なので、拝読していて、とても気持ちが良い。
いつものことですが、「能う限り正確な私家版を整えておきたい」という意図のもと、「誤りを指摘している」のではなくて、「こう思うんですが、どうでしょうか?」という、「ご指導のお願い」とご理解下さい。
○一方、例によって偉そうにご投稿しておりますが、当方も、訳本から教えていただいて、思い違いを直した箇所が(いまのところ)2箇所あり、忸怩たる思い(汗)。因みに当該箇所、haro様版では、もちろん、当初から正解。


【第二章】
<訳本P21/ll.12>
「〜汽笛を鳴らしてダグのこころを悲しませ、こころは涙となって目から流れて〜」
<原 文>
“〜the ship blew its horn a last time and broke his heart so it fell from his eyes in tears〜”
<対照例>
「〜船が最後の汽笛を響かせるにつれて、(パレードは消え去り、)ダグラスの心を粉々に砕いて、それは眼から涙となってこぼれ落ち、〜」
<内 容>
勿論、訳本で正解ですが、この ”broke” は、比喩として「心を砕いた」方が、最終的に、涙になって、眼からこぼれ落ち易いかと・・・いかんいかん、これって、趣味の範疇か(笑??)。


【第三章】
@
<訳本P22/ll.2-4>
「彼は起き上がり、悲しみとはどんなものか見ようとして鏡のところに行くと、なんと、ほっぺたじゅうに色がついていて、彼が手をのばしてその別の顔にさわると、それは冷たかった。」
<原 文>
“He got up and went to the mirror to see what sadness looked like and there it was, colored all through his cheeks, and he reached to touch that other face, and it was cold.”
<対照例>
「起き上がり、いったい悲しみというのはどんな姿をしているのか見てみようと、鏡に向かうと、そいつは両頬一面に染(し)みて、確かにそこにあり、手を伸ばし、その別の顔に触れると、とても冷たかった。」
<内 容>
ええと・・・「なんと、ほっぺたじゅうに色がついていて」というのは、個人的にどうも・・・(??)因みに、涙の跡のことなんでしょうね、きっと。

A
<訳本P23/ll.8-9>
「あの、死は、いまも船に乗って航海していて、おじいちゃんたちみんなはもとの岸に残されたの?」
<原 文>
“Is death being on a ship sailing and all your folks left back on the shore?”
<対照例>
「死ぬっていうのは、家族や親戚の人たちを、みんな岸に残して、船で旅することなの?」
<内 容>
訳し方は別として、意味的には多分、小生が正解ではないかと・・・でないと、”all ‘your’ folks” の無人称の ”your” が解釈できないかな(??)。”all ‘you’ folks” だったら分かるんですけどね。因みに、この質問でこその、おじいちゃんの態度・回答なんでしょうね。

B
<訳本P24/ll.1>
「できることならそれじゃない!」
<原 文>
“〜not if I can help it!”
<対照例>
「とんでもないよ!」or 「そんな話、聞きたくない!」
<内 容>
某英和より・・「(口語)そんなことさせるもんか、とんでもない」。小生は、鵜呑みにしましたが・・(??)。


【第五章】
@
<訳本P28/ll.9>
「わしはうまくやったぞ!」
<原 文>
“I made it!” (筆者注:”made” はイタリック)
<対照例>
「また生き延びたぞ!」
<内 容>
前後の脈絡から、この意かと・・(??)

A
<訳本P28/ll.11-12>
「ばかいえ」と、ブレーリングが言った。「いつかはカリフォルニア・ドライフルーツの缶に葬られるのさ。」
<原 文>
“Hell,” said Brailing. “Some day(筆者注:原文のママ)they’ll bury you in a California dried-fruit tin.”
<対照例>
「ちくしょうめ」ブレイリングが言った。「いつか連中は、人さまをカリフォルニア乾燥フルーツの缶に埋(うず)めるんだろうよ。」
<内 容>
「いつまでもとはいかないさ」と言ったクォーターメイン氏が、(「ちくしょうめ」を除いて)続けてこのフレーズを言うのなら、話が繋がりますが、話者がBrailingであると、「ばかいえ」と否定して、その後の科白を続けるのは、ちょっとヘン??

B
<訳本P28/ll.14>
「ほら聞こえるだろ!」
<原 文>
“Listen!”
<対照例>
「おい、あの音は!」
<内 容>
恐らく、闖入してきたダグラスが立てる物音に、注意を促した命令形かと。かといって「聞け!」と言うわけにもいかないので(笑)、対照例に。


【第十章】
@
<訳本P47/ll.8>
「いまは猟犬みたいに日陰に横になっているのさ。」
<原 文>
“Right now we’ll just lie like hound-dogs in the shade.”
<対照例>
「さあ、樹陰で猟犬みたいに寝っころがろうぜ。」
<内 容>
“will” が入っているので、小生は、一応、こういうことにしましたが、はてさて・・・??

A
<訳本P47/ll.10-12>
「いまにもチャーリーは走り出し、連中もいっしょになって、犬のようにキャンキャンと葡萄棚色の深い夕闇のなかを、目を閉じ、蠅をたたくことすらしないで、ばたばた動くことだろう。」
<原 文>
“At any moment Charlie would run, the gang with him, yapping like dogs, to flop in deep grape-arbor twilight, not even swatting flies, eyes shut.”
<対照例>
「チャーリーは、いまにも走り出しそうで、他の連中も、犬みたいに吼えたてながらついて行き、夕暮れのうす明かりが深々とした葡萄色の陰をつくる樹々の下で、たかって来る蠅を打つことすらせずに、眼を閉じて、寝っ転がるのだろう。」
<内 容>
先程の@の解釈から、”flop” = 「バッタリ(ドサリと)倒れる(落ちる, すわる, 横になる など)」を採用しましたが、はてさて−2・・・??


以上、分量の関係で、とりあえず一旦切ります。


【第五章】Aについて 投稿者:Greentown - 2007/10/16(Tue) 21:19:10
先日haro様より、『ここは、ブレイリングがクォーターメインに反発して、「何を言うか」⇒「お前さんだって、いずれカリフォルニア乾燥フルーツの缶に埋められるんだぞ」(大意)ではないか』、とのご指摘( "you" をクォーターメインと理解)。
小生は"you"を無人称で読んでいましたが、確かにharo様仰せの通りで、相当の確率で正解かと。
取り急ぎ、冷や汗を掻きつつ追加ご報告でした。

[433] さよなら、僕のFarewell Summer(笑? 投稿者:Greentown 投稿日:2007/10/06(Sat) 15:08:25

理系様、割り込んで申し訳ありません(笑

○本日、Amazonより「さよなら僕の夏」到着。例によって、登場人物の言葉遣いなど、自分の頭の中の世界とのギャップに苦しみながら、取り敢えず、三分の一ほど斜め読み。

○取り急ぎ、第一章について少々。いつもの通り、ぜひとも、各位のご教示を希います。

@
<訳 本P13/ll.4-5>
「どの通りも、まるでぼろぼろのサーカスが通り過ぎて、車輪が回るたびに昔の鉄の小道がくずれたかのよう。」
<原 文>
“〜as if a ruined circus had passed and loosed a trail of ancient iron at every turning of a wheel.”
<対照例>
「まるで、かつてうらぶれたサーカス一座が通りかかり、車輪が回るたびに、古代の鉄の轍(わだち)を残していったようだ。」
<内 容>
○ここの “trail” は、小道ではなく「痕跡」かと(??)

A
<訳 本P14/ll.1-2>
「あの花が分かるかな?」
「はいっ、わかります。」
<原 文>
“See those flowers?”
“Yes, sir.”
<対照例>
「あの花が見えるかい?」
「うん。」
<内 容>
○『「分かる」というのは、「視覚で認識できる」という意味である』と仰せであれば、それなりに納得。ただ、脈絡から推せば、この段階では、「見る」方が適切なのではと(?)

○”sir” が付いているので、ダグが、とても良いお返事をしております。ただ、この後も、そしてDandelion Wine等にも、全く以て敬語を用いるのが不適切な箇所(*)にも、”sir”が頻発します。
全般的に考察した結果、これら ”sir” に関する、従前からの小生の解釈は、各辞書にも記載のある、「Yes/Noの強調(であり、深い意味はない)」。
よって、私家版では、敢えて敬語にする必要は無いものと判断。
なお、「強調」というのに拘るのであれば、対照例は、「うん。」ではなく、「もちろんさ。」でも。
(*)例えば、第十章の友人同士の会話、或いは、DWも含めて、TomとDougの会話中など。

B
<訳 本P14/ll.3-4>
「夏の別れ、だよ、ダグ。それがあの花の名前なのさ。空気が感じられるかね。秋が戻ってくる。夏の別れだ。」
<原 文>
“Farewell summer, Doug. Thant’s the name of those flowers. Feel the air? August come back. Farewell summer.”
<対照例>
「さらば夏(フェアウェル・サマー)、って言うんだよ、ダグ。そいつがあの花の名前だ。気配が分かるかい? 八月が戻って来たんだ。さらば夏(フェアウェル・サマー)、か。」
<内 容>
○なぜか、「『秋』が戻ってくる」ことに。

○ここはFarewell Summer全般の解釈に重要な部分なので、”The Stories of Ray Bradbury” 所収の掌編Farewell Summer中の、この部分に相当する、おじいちゃんの科白を引用します。原文を書くのが面倒なので(笑)、私家版の試訳でご勘弁を。

「(筆者注:Farewell summerとは)何だか知ってるかい、ダグ? 道ばたに咲く花のことで、今日みたいな天気を表すために、そういう名前が付いたんだ。ごらん。季節がまるっきり、ひっくり返っちまった。なぜ夏が戻ってきたのか、分かりゃしない。たぶん、何かを見つけに来たんだろうな。なんとなく、哀しい気分になる。だが、それでも、嬉しいような。『さらば、夏(フェアウェル・サマー)』だよ、ダグ。」

○というわけで、「秋だというのに、唐突に、夏のような天候が戻って来た日々」が、この物語が展開する時候。その頃に咲くのが、Farewell Summer。よってもって、この後にも頻発する「夏の別れ」というコンセプトは、小生にとって難解。最後までお読みになった各位は、「夏に、何か(誰か)と別れる」の意であると解釈されると思いますが、上述の通り、あくまでも、この物語の季節は、秋。「秋だというのに、追憶のように夏が戻ってくるのも哀しければ、それにお別れするのも、せつない」、というところが、本書のキモかな、と思っているので(??)。

○因みに、掌編の方では、”August’s come back.”であり、現在完了。長編の方では、”has”を省略。というわけで、「夏が戻ってきた」の意。

C
<訳本 P15/ll.1-2>
「季節はただすぎてはいかないもの。犬は樹の下に出てきているし(以下略)」
<原 典>
“Season just can’t let go. The dogs are out under the trees.”
<対照例>
「季節はまだ、立ち去りかねて居残っている。犬は表で木陰に入る。」
<内 容>
○上気Bの解釈より。なお、「樹の下に出てきている」(?)というか、要は、「暑いので、戸外にいて、木陰に入っている」、の意かと。


◎その後の「やもめの叔母さん」のくだり、「いないわよ。でもいなきゃいけないとこね。」。恐らく会員各位も意味不明でしょうが(笑)、haro様と小生にも意味不明箇所でした。
原文は、”No, but there should be.”

◎ひょっとしたら、先生の叔母、Nevaを思い浮かべる方もいらっしゃるかも知れませんし、夢想家のNevaさんを、小生も想像しましたが、もちろん、決定的な解釈とはなり得ず。

◎haro様と小生の間でも、見解の相違(という程のものではありませんが・・笑)があり、haro様の解釈は、いずれ頂けるであろうご返信(笑)をご覧頂くとして、小生の解釈(というより、米国の知人の意見)。彼に依れば、「季節がきっちりと移ろわずに、なんだかすっきりしない気分を表しているのではないかな」とのこと。よって、私家版では、「いいや。だけど、そんな気分なのさ。」と、どうとでも取れる、いい加減な処理を(爆

※因みに以下にご参考情報を。
☆「キッセル・カー(Kissel Kar)」とは、1906年にLouis Kisselと二人の息子が創設した自動車メーカーの自動車。例の、フォード型乗用車のようです。”Kar” は ”Car” の意かと(煙草の ”Kool” と一緒?)。

☆なお、訳本には、『二人の後ろにはキッセル・カーの車に畑から取ってきたばかりの大きなカボチャが六個あった』とあり、日本語的に少々難解ですが、要するに、「カボチャが後部座席に収まっていた」ということかと。

☆本書ですが、DWに登場する少年であり、実在の先生の友人、John Huff氏に捧げられております。知る限りでは現在もご存命(?)なので、 ”With love to John Huff, alive many years after Dandelion Wine” という献辞の意は、「DWの後、永く生き存えてくれているJohn Huffに〜」かな、と。

以上、取り急ぎ第一章でした。ひょっとしたら、また続き物に??(爆

[431] 癪な詩訳の試訳 投稿者:理系の男 投稿日:2007/08/03(Fri) 22:15:57
十月は疑問の国20:最大の難問=冒頭の詩

私の「十月」とのファーストコンタクトは、JM表紙と「ポーの衣鉢を継ぐ」という惹句であったことは既に何度も述べた通りですが、文章のファーストコンタクトは、巻頭に置かれたこのOCTOBER COUNTRYという「詩」でした。宇野訳の素晴らしさは申し上げるまでもないでしょう。

・・・いつの年も、末ちかくあらわれ、丘に霧が、川に狭霧がたちこめる。昼は足早に歩み去り、薄明が足踏みし、夜だけが長々と坐りこむ。地下室と穴蔵、石炭置場と戸棚、屋根裏部屋を中心にした国。台所までが陽の光に横をむく。住む者は秋の人々。秋のおもいを思い、夜ごと、しぐれに似たうつろの足音を立て・・・

JM表紙につづいてこれ、そしてJM挿絵付きの「こびと」へ流れていく・・・痺れますなぁ。

原文はこうです。

OCTOBER COUNTRY
. . . that country where it is always turning late in the year. That country where the hills are fog and the rivers are mist; where noons go quickly, dusks and twilights linger, and mid-nights stay. That country composed in the main of cellars, sub-cellars, coal-bins, closets, attics, and pantries faced away from the sun. That country whose people are autumn people, thinking only autumn thoughts. Whose people passing at night on the empty walks sound like rain. . . .

各文がThat countryで始まる以外は、特に韻を踏んでいる感じはないので、散文詩というべきでしょうか。ただ、繰り返し読むと、宇野訳とはちょっとイメージが違うところがあります。
今回のポリシーは原文尊重主義ですから、まず直訳してみたいのですが、これが難問。

最初の節。it is always turning late in the year. が分りません。宇野訳ではitを(多分)「10月の国」と解釈し、「毎年、一年の終わり近くに出現し」として、次の文に続けてしまっているようです。しかしOctober country, that country where it is . . . なのですから、it を10月とするのは無理ではないでしょうか。「10月の国とは、いつも一年の終わり近くに現れる国が存在する国」となってしまって、妙です。

詩だということを無視して論理的に訳すと・・・

「十月の国、それはどんな国かというと、そこではit is always turning late」
・・・なのですが、このitとは何でしょう。天候や時間を指すitであると考えて、
常に時間経過が遅い
いつも時刻が晩い
万事ものごとの変化が遅い
・・・等々の可能性があります。
また、最後のin the yearはどこにかかっているのでしょう。最初、it is turning late in the yearかと思って、一年のうちではいつも時間経過が遅い(???)などと訳してしまいましたが、これはthat countryにかかっていると考えていいかな、という気がしてきました。すなわち、各月をそれぞれ特徴をもった「国」と呼び、「一年のうちで、色々な月=国があるけれど、10月の国では・・・」とするわけです。

次のフレーズは名訳。私ならfogは霧、mistは靄、と機械的に訳してしまいそう。狭霧などという言葉は出てきません。辞書によれば霧と同義だそうですが(さぎりき〜ゆる、みなとえの〜、という唱歌があって、以前から意味不明でしたが、どうやら消えてはかかる霧の描写のようです)、これをパクるのも癪なので、原文を尊重して私訳は霧と靄にします(笑)。

次のフレーズ。「薄明が足踏みし」ですが、原文はdusks and twilights lingerです。ここでわざわざ類義語を2つ並べたRBの意図は、夕暮れと夜明け前の2種類を表したかったのではないでしょうか。もっとも、それぞれの単語にどちらの意味が強いということはないようです。意訳なら、例の名訳「たそがれ」を使って欲しかった。夜明け前でも「たそがれ」は使えるようですが、私の語感では、黄昏は「夕暮れになって、次第に他人の見分けがつきがたくなっていく状況」、薄明は、「これから明けていく薄暗さ」なので、この二つを使いたいところです。

次のフレーズ、ちょっと意見が違います。私の感性では、cellars, sub-cellars, coal-bins, closets, attics, and pantriesがすべてfaced away from the sun.なのですが、宇野氏は最後のpantriesのみにかかるとして、「台所までが」と、殊更台所の暗さを強調しています。でも、ちょっとね・・・「までが」は、宇野氏得意の追加語句。

最後のフレーズ、宇野訳には全く太刀打ちができませんが、文法的にはちょっと違和感があります。「夜ごと、しぐれに似たうつろの足音を立て・・・」で余韻を残す手法には痺れますが、Whose people passing at night on the empty walks sound like rain. . . で、passing on the empty walksは「人通りのない道を通り過ぎる」となり、それがsound like rainですから、その足音が雨音に似ている、ということじゃないでしょうか。つまり、足音がうつろ、ではなく、道がうつろ、なのですね。個人的には宇野訳の方が好きですが。

さて、試訳。まず、it is always turning lateを「時間経過が遅い」として直訳。

・・・年のうちですべてがゆっくりとうつろう国。丘には霧、川には靄がたちこめる国。昼は素早く過ぎ去り、黄昏と薄明は足踏みし、真夜中が腰を落ち着ける国。地下室、穴蔵、石炭箱、物置、屋根裏部屋、食料貯蔵庫、これら太陽から顔を背けるものたちが主役をなす国。住人は秋の民、秋の想いだけを思う。住人は夜になると空の舗道を歩み去り、雨のような音をたて・・・

改めて読み直してみると、すべてがゆっくり経過する国のはずなのに、昼は素早く過ぎ去る、というのが矛盾ですね。そこで考え直すと、it is always turning lateは、「いつも、気付くと晩い時間になっている」という感じに思えてきます。適訳はないのですが。
これらのことを取り入れて、現在の私訳:

・・・年のうちで十月の国はどんな国だろうか。ふと気付くと、いつも晩い時刻になっている。丘には霧がかかり、川には靄がたちこめる国。昼は瞬く間に過ぎ去り、黄昏と薄明は足踏みし、真夜中は居座りをつづける。地下室、穴蔵、石炭箱、物置、屋根裏部屋、食料貯蔵庫、これら陽光から顔をそむけるものたちが主役をなす国。住人は秋の民。秋の想いだけを抱きつつ、夜ごと空虚な道を時雨に似た音をたてて歩み去る人々・・・

〜うーん、結局宇野訳を採用しようかなぁ(爆)



KENT & MakiMaki
JRBFC(日本レイ・ブラッドベリファンクラブ)